期待しない nowhere column vol.8

期待は『失望の母』とは言い得て妙だ。

そもそも期待するとはどういうことなのか?
良い結果や状態を予期して、その実現を待ち望むこと。

「これだけ頑張ったんだから、きっと評価されるだろう」
「今回は好感触だったから、成約につながるに違いない」
「愛弟子として育て上げた部下は必ず活躍してくれる筈」
「この模擬試験に合格すれば、念願の入学も夢ではない」
「龍が雲を得る如し、連戦連勝で向かうところ敵なし!」

誰しもポジティブなイメージで、明るい未来を描こうとする。
それが夢や希望であり、生きる心の支えになったりするもの。

社会での立ち位置で、他者との関係性は人それぞれ・・・
職場・家庭・旅先でさえ、ふと期待に胸を膨らませてしまう。

ところが期待を何度も裏切った相手に対しては攻撃的になる。
けしからん!とイライラし、容赦ない怒りが込み上げてくる。

相手に向けた怒りの矛先は、ループして自分にも突き刺さる。
消しきれぬ不機嫌な言動は、寿命を縮める自傷行為に等しい。

夢や希望の実現に向けて、関わる他者への要求が強すぎれば、
相手のストレスやプレッシャーと化して心のかさぶたになる。

期待する心に潜んでいるのは他力本願的なエゴ(自我)
リスクや負の要素を無視した利己主義と甘えの投影なのか?

あるべき論を振りかざせば角が立つ
仕方ないねと諦めれば伸び悩む
とかくこの世は生きづらい

自然と心から沸き起こる期待とどう向き合い、
期待どおりにならない現実を受け容れ、
期待をさりげなく手放すか?

人としての器が常に試されている。